種蒔大師 八葉山 東林院

今回の遍路は、ブログ名にちなんで1番霊山寺さんより東にある種蒔大師さんから始める。相変わらず分かりにくいわ、遍路地図。市街地住宅地ではNAVITIMEがいいよ。

今回のお遍路では、歩き遍路で通し打ちの二人の若者との出会いが思い出に残った。

最初に会った若者は20代と思うが、こちらが「こんにちは」と言っても会釈するぐらいでほとんど無視に近かったのが、3日ほども前後して歩き、同宿して食事を一緒にするうち、向こうから挨拶するようになったわww

「お先です」
「お疲れ様です」

ほほほ。食事の席で私が二巡目であることが分かり、装備もそれなりで歩きなれているのが分かったからか、いろいろ私に質問してくるようになった。

若者:「2本のストックは良さそうですね?」

私:「推進力にもなりますし、体が倒れそうになった時バランスも保てます。」

若者:「雨の時、靴が濡れたらどうしますか?」

私:「ゴアテックスの靴は少しの雨なら大丈夫ですけど、1日中降られた時は靴下まで濡れました。その状態のままだと絶対に靴擦れします。宿で新聞紙を詰めて乾かすしかない。レジ袋を靴の上にかぶせて歩き出す人もいましたが、すぐ破けると思いますけど」

などなど。やはり、気になることは皆同じ。

私は彼に「足にマメはできませんか?」と聞くと、「マメはできないが足の裏が痛い。念のためスーパーワイドという幅広の靴にした」とのこと。

地図も持ってないので「なり」かと思ったが、それなりに情報収集はしていた。iPhoneでGoogleマップを使ってると言ってた。

そう言えば、20キロ前後の距離で宿を決めてる私に「時間があったら●番と●番まで打ち、、、」とか言ってきたわ~。

「65歳の婆さんにそこまで言う?」と笑って返したら彼も笑っていた。

全くぅ、若者は自分の体が動くので、年寄りの不自由さが理解できないのよ。ジムの若いパーソナルトレーナーとおんなじだわねww。

彼との別れは、トンネルの中で反対側の歩道を行く私を追い抜かしていく時、彼は私に大きく両腕を振って声を上げて挨拶してくれたっけ。

きゃわいい子だね~、いや孫だね~。

後半に出会った20代の若者も一週間歩いても「足は全然痛くない」と言っていた。もっとも、前半に出会った若者は焼山寺の遍路道(へんろころがし)をちゃんと歩き、後半に出会った足が痛くないという若者は、全て車道を歩くというスタイルだった。

後半の彼も誰かに情報を得て、遍路道は登山道と同じだと聞いたという。その彼は国家公務員に内定が決まっていて、40-50日間かけての四国巡礼歩き遍路の通し打ちをするという。

私の遍路11日目、彼も同じくらい歩いていると思うが。翌朝の出発時間が違う私との最後になる夕食が終わり、先に席を立つ際に私が「お世話になりました。お気をつけて」とあいさつすると

「寂しいですね」とぽつり。

ホームシックね~~

誰かれなく挨拶し、明るくて誠実な印象の好感の持てる若者だった。

しかも頭いいっしょ!

調べもの以外、なるべくネットは見ないようにしてるとか言ってたわ。

私と二人だけの夕食の時に、話の流れで「彼女いるの?」と私が聞くと元気に「います!」と答えてくれた彼。

彼女に電話すればいいのに、ふすま一枚向こうの部屋で電話している気配もないんだな。

学生時代最後のこの時期、何かを決心し、頑張ってこの寂しさに耐えているんでしょ。

前半に会った若者もそうだったのかも。ただ黙々と歩いていたから。

若い男子は弱音を吐けない

私みたいな婆さんが歩いていればなおさら。

地元の人からもねぎらいの言葉さえないだろう。私みたいな白髪の婆さんにはいろんな意味で同情的な視線がある。何か尋ねても挨拶しても、ある程度の返答が返ってくるが、男性に対して温かい返答はないかもしれないし、なるべく尋ねずに自分だけでやり遂げたいかも。

ましてや若い男子なら、やって当たり前、みたいな対応されるかもね。

国家公務員になるという彼は、なんと私の息子に似ていた。面差しは少し違うが背が高く黒ぶちメガネをかけた容姿が似ていたのだ。

高校生のころの息子のようだった。

実は目が悪い私は前日話した彼と同一人物か、鯖大師さんで会ったとき、すぐには分からなかった。その彼が、寺で私が納経終えるのを待っているように感じたので、「昨日さざんかで一緒だったお兄さんですか?」と聞いた。

「はい」と言って、そこから良くしゃべるんだわ~。

だが、私は私で婆さんが若い男子に話しかけても嫌がられるだろうとなるべく避けていたんだけど、人懐っこくしゃべりかけてくるこの男子はかわいかったな。そこで年齢を聞き出し25才と分かった。

何を話そうか話題に困って、遍路道の砂岩の砕けたのや、焼山寺のへんろころがしの石などについて話したら、なんと地質学を学んで研究は植物だったとか。ちょっと専門的な話もしてくれたわ。良く分からんかったがw。

そこで親密さが増したのか、その日も同じ宿になり

彼がホームシックだと分かったわけ。何か元気づける言葉を掛けられたらいいけど、それほどの余裕もない私。彼の旅はまだ始まったばかりなのよ。余計なことは言えないし。

若者は自分で乗り越えて行くんだわ。

翌朝、彼は朝食もとらずに早立ちしたため、私とは一言も交わさず。もう一度声を掛けたい気もしたが、お互い未練が残るのでこれでいいの。

彼にはもちろん息子の事は話していない。聞いた相手の方が重くなるから。四国に捨てて行って、と言っても聞いた話が無くなるわけじゃない。

さて、息子だったらどんな社会人になっていただろうか。