佐倉ふるさと広場トワイライト3回目

佐倉ふるさと広場トワイライト 名喰戸橋(なじきどばし)から
佐倉ふるさと広場トワイライト 名喰戸橋(なじきどばし)から 2020/01/01 17:05:17 Z6, Z 24-70mm f/2.8 S 
焦点距離:47mm  絞り優先モード 手ブレ補正OFF
f/8 1/25秒 -2.0EV ISO-400 高感度ノイズ低減:強め 長秒時ノイズ低減:しない ピクチャーコントロール:風景 ホワイトバランス:晴天日陰を晴天に編集
佐倉ふるさと広場トワイライト 名喰戸橋(なじきどばし)から
佐倉ふるさと広場トワイライト 名喰戸橋(なじきどばし)から 2020/01/01 17:05:17 Z6, Z 24-70mm f/2.8 S 
焦点距離:47mm  絞り優先モード 手ブレ補正OFF
f/8 1/25秒 -2.0EV ISO-400 高感度ノイズ低減:強め 長秒時ノイズ低減:しない ピクチャーコントロール:風景 ホワイトバランス:晴天日陰

上2枚:ホワイトバランスが晴天日陰だと8006Kだった。そして青味が黒っぽくて良くなかったためRAWで晴天(5034K)に変更。最初は赤味を強くしたくて晴天日陰にしたのだが赤とチャコールの空になってしまった。やはり先生の言う通り自然な色じゃないと思った。

佐倉ふるさと広場トワイライト 名喰戸橋(なじきどばし)から
佐倉ふるさと広場トワイライト 名喰戸橋(なじきどばし)から 2020/01/01 17:32:11 
Z6, Z 24-70mm f/2.8 S 焦点距離:30.5mm 絞り優先モード 手ブレ補正OFF
f/8 15秒 -1.3EV ISO-400 高感度ノイズ低減:強め 長秒時ノイズ低減:しない ピクチャーコントロール:風景

上:マンションの灯火の映り込みがきれいだったが月はブレてる?下もギリギリで葦が水面に重なるくらい。もっといいのもあったが、下の葦が少なすぎてバランス悪かった。ファインダー覗くと下に撮影情報が入るので暗い場所では気をつけないと。撮影後の写真は撮影情報を入れなくすることもできるが、撮影前のライブビューには必ず撮影情報入るのよね?入れない事できたっけ?

佐倉ふるさと広場トワイライト 名喰戸橋(なじきどばし)から
佐倉ふるさと広場トワイライト 名喰戸橋(なじきどばし)の10メートルほど先から
2020/01/01 17:10:01 Z6, Z 24-70mm f/2.8 S 焦点距離:27.5mm 絞り優先モード 手ブレ補正OFF
f/5.6 1/6秒 -2.0EV ISO-400 高感度ノイズ低減:強め 長秒時ノイズ低減:しない ピクチャーコントロール:風景

元旦はお天気よくて、夕食の支度を早めに軽く終えてまた佐倉ふるさと広場へ。飯野竜神橋を渡り数メートルの先、左手に小さい橋がある。名前をスマホで撮ってきた。名喰戸橋(なじきどばし)と言う名前でジョギングロードの入り口となる。このジョギングロードとは印旛沼沿いの土手だが、これ以上先に私はまだ行ったことがない。


さて元旦の夜、写真を整理しながらテレビをぐるぐる回していたらウィーンフィルやってた。何年も前の新年に見た時は美しき青きドナウをちょうどやっていて好きな曲だったから少しのつもりで見た。今年はPCやりながら、ドナウが流れるまで放置。以前はバレリーナ男女1組が踊るビデオが流れ、そのバレーに見とれ美しき青きドナウの音楽に聞きほれ最後までみた。何しろ宮殿のようなところで撮影されたものだったから、ヨーロッパの王族や貴族のお城か?と想像しながら。今年はドナウ川の映像がところどころで流れた。ウィーンフィルのニューイヤーコンサートは宮廷歌劇場でやるらしいが、観客もセレブばっかみたいだった。ドナウの次はアンコールの最後でラデツキー行進曲だったがこの曲順も定番だそう。いずれもだれでも聞いたことがある名曲だ。

なぜ美しき青きドナウが好きかと言えば、小学生の時に校内合奏コンクール?でやったから。音楽の先生は美人で背が高く女性としても魅力的な方だったが、楽器の演奏指導にとても情熱的だった。この時、歌詞がついていて歌のパートもあった。楽器のパートは授業の中で成績判定の試験にもなった。私はメロディにのっていまだに歌詞を口ずさむ事ができるのにほかで聞いたことがないのが不思議で、この歌詞は先生が勝手につけたんだと思っていた。がウィキによればもともと合唱曲だって。それともう1曲はエスパナ(スペイン)狂詩曲だったわ。小学生用にアレンジしてあるだろうが相当練習したからどっちも好き。そもそもお昼休みにはクラシックがいつも校内放送で流れていた学校で、各学年で1クラス40名以上が6組以上はあるマンモス校だった。今思えば、音楽の授業一つ取ったって教育委員会のやる気が見える。BSに相当気を使ってたね。

BSとは通称BS(ビーエス)団地のことだ。BS団地とはブリヂストンの東京工場ができ、北九州の方からその社員たちがどどーんと多数棟ある低層階集合住宅(その昔は団地って言った)に移住してきたところだ。BS団地の周りは金網のフェンスが張り巡らされ、幼稚園、体育館、レセプションセンター他の厚生施設も揃っていたと思う。自治体も教育には気を使ったようで中学校までレベルの高いいい先生が多かった。

そして思い返しても素晴らしいのは、ビーエスの子供たちが知力・体力ともにみんな優秀だったってこと。学年上位者はたいていBSだったと思う。北九州から移住してきたのは主に技術者だったのだろう。水泳の遠泳はみんな必ず出来るというし、小学生の時からプレジデントなんか学校に持ってきて読んでた子もいたからねー。親が優秀なら子供も当然だね。

ある時、ジェット機用の大きなタイヤが運び出されるのを先生が気づいて、授業中なのに一瞬みんなで窓から眺めたこともあったわ。大きな幹線道路がBSの正門前にあって、搬出しやすい事も工場を建てる際に考慮されたらしい。あるいはBSのために大きな道路を作ったのかも。

なんだか、、この頃子供のころのことばっか思い出す。。。あの頃は良かったな~。どう考えても私は令和で終わりだろうし。懐かしむのは今のうちか、そのうち頭回らなくなるから。