ブラジルの記憶

少し前に友人からコーヒーをいただいた。
それを飲もうと思って開封すると、なんと豆だったのら~。(*^_^*)
ひゃー、彼女は本格的コーヒー好きなのね。どうもありがとう♪
コーヒーミルを買ってきて、やっと昨日初飲みしたの。
お味は、ベリベリデリィ~シャス!!

豆を挽いてコーヒーを入れるなんて、何年ぶりでしょ。
25年ほど前、コーヒーミルつきのコーヒーメーカーをいただいて以来だわ。
その当時は良く豆を買ってきたが、次第にコーヒーメーカー自体が面倒になり
今では挽いてあるレギュラーコーヒーを買ってきて、ペーペーフィルターで飲んでる。
香りが無くなるというが、密閉缶に入れておけば、結構香りは残ってると思うけど。。。。
でも本格派からしたら、あんなの邪道だろうね~。(^^ゞ

ところで昨日、このいただいたブラジルメラードというコーヒーを飲んだら
鮮やかに、若かりし頃のある記憶がよみがえった。
それは高校生の頃、吉祥寺の「檸檬」という喫茶店でよく飲んだ
酸味がなくて香ばしいかおりの「ブラジル」というコーヒーを思い出したのだ。
ブラジルメラードとブラジルだから、味が似ていたのかも。

そこの喫茶店の店主は、おとなしくて、実直で、神経質な感じで、
いかにも文学青年の成れの果て(いけないわね~(^^ゞ)って感じの
やせっぽちのおじさんだった。

そう、その店名は、あの梶井基次郎の檸檬から引用しているのだ。
たしか、武者小路実篤かなんかが描いた檸檬の絵もあった。
ここのコーヒーのブラジルが好きで、良く学校の帰りに友達と寄った。
一人で行くこともあった。

この店は、喫茶店にしては珍しくBGMがなくて、天井が高く
10~15坪以上もあろうかという、当時としても
サンロードという目抜き通りのビルにありながらも、床面積の広い店舗だった。
そしていつもお客さんが少ないので、私はこの店が好きだったのね。^_^;
静まり返った店内ではおじさんの入れるコーヒーの音や、お客さんがめくる雑誌の音が響き
友達と店に入っても、ひそひそ声で話すか、あるいは全く話さないで
文庫本を読みふけるのが常だった。

このおじさんの入れるコーヒーといったら、カップになみなみと注ぐのだ。
なみなみどころか、カップの縁までいっぱいなんで、
こぼれそうになりながら、そろりそろりとおじさんが席まで運んできてくれる。
それでもソーサーによくこぼれてたわ。
これがこのお店の「売り」(特徴)でもあった。あーなつかしい。。。

私が高校生の頃、学生街である吉祥寺は
危ない場所もあったが、路地裏にはコーヒーハウスがところどころにあって
どこも豆を挽いてからサイフォンで入れたりする本格的なお店が多かった。
そんなお店をねぐらに、背伸びをして、文学やら演劇やらの話を
友達や知り合いの大学生達としたものだった。

最近の吉祥寺と来たら、もう昔の面影はまったくなくて
ただのファッションやショッピングの街みたいになってしまってがっかり。
古本屋も見つけられないし、檸檬という喫茶店もなくなっていた。
私自身もすっかり変わって、色白で物思いにふける文学少女とはかけ離れ
たくましいおばさんになっちゃったよ。
草原の輝きも花の栄光も。。。。。


Comments

“ブラジルの記憶” への4件のフィードバック

  1. keitannのアバター
    keitann

    primroseさん、こんばんは。
    高校が吉祥寺にあったのかな?それともご実家がその付近だったのでしょうか?
    吉祥寺は私も学生時代に親友が北口から徒歩10分の場所にアパートを借りて住んでた町なので、良く行きましたよ。何度も泊まったり、また私は下井草に住んでいたので、彼女が泊まりに来たり・・。それにトンジョの友人も上荻に住んでたし、今も親しく行き来している茂原の先輩は当時は高円寺にお住まいでしたしね。私自身も最初は中野の寮に住んでいたので、中央線沿線は結構懐かしいですね。
    吉祥寺って当時はまだまだ田圃なんかも残ってましたよね(今はどうなってることか?)ところで、4年になる春休みにその親友と吉祥寺北口のマックでアルバイトしてたんですよ。まだマックが全国にも数店舗しかないという頃ですね。もしかしたら、どこかですれ違ってるかも?たぶん私が大学のときにprimroseさんは高校生だったでしょうからね。
    なんだか、今度上京するときは久しぶりで吉祥寺に行きたくなったかも(^_^)

  2. primroseのアバター
    primrose

    うわぁ、なんて偶然でしょうね。あの当時マックでバイトしてらしたとは。keitannさんもマニュアルどおり「いらっしゃいませ、こんにちは」とか、「ご一緒にお飲み物はいかがですか?」とか言ってたのですか?(#^.^#) きっと知らぬ間にお会いしてたんでしょうね。

    聞くところによると、マックやケンタはバイトでも厳しいらしいですね。レジでもたもたしてると、後に下がらされたのを見たことありますよ。あの当時、私の好きなフィレオフィッシュは270円くらいしてたような。高いから滅多に食べられませんでしたよ。それに、それだけじゃお腹いっぱいにならないし。だからおやつって感じですけど、おやつにしたらちょっと高かったもん。(~_~;)

    マックは靴店(アメリカ屋かワシントン靴店)の隣かなんかにありましたよね、サンロードの入り口付近の。まだ店舗数が少なかったのですか? じゃ、バイトの職種の中でも、花形だったでしょ。(^o^)丿

    私の覚えているこの「檸檬」っていう喫茶店、ご存じないですか? ゆったりした店内で、木製の大きめのテーブル、BGMのない珍しい店でした。どこか物憂い感じのする。。。。
    確か、「三浦屋」という高級スーパーの前のビルにあったんですよ。三浦屋のパンも食べたいな~。紀伊国屋と同じようなパンでした。

    私は実家が小平で、学校は国立でした。吉祥寺は子どもの頃から良く買い物に行ったものです。中央線は通勤・通学の際に乗ったものです。あれは魔の電車ですね。あの通勤地獄と言ったら今でも恐ろしいもん。

    国鉄のバイトで押し屋さん(正式名称はなんというのかしら)がいましたよね。満員でドアが閉まらないから、後から押してくれる人が。それに痴漢は出るわ、事故は良くおこるわ、何しろ人が集中してましたからね。それにあの当時はまだ冷房車は少なかったので、夏の混雑時は本当に大変でしたよ。

    吉祥寺、なつかしいのは分かりますが、行かないほうが良いと思いますけどぉ。(~_~;) 私もたまに行きますが、そのたびにがっかりします。南口の井の頭公園のほうは行ったことがありますか? あっちもすごく雰囲気が良いの。武蔵野の面影があって。井の頭公園は「愛していると言ってくれ」でロケに使われていて、懐かしく見ていました。あの付近にいつかは住みたいと、若い頃は思ったものです。でも今は、どこでも住めばみやこですね。

  3. keitannのアバター
    keitann

    primroseさん、こんばんは。コメントが投稿になってたようでよかったです。以前投稿したときは何故か消えてしまってたようで、また消えたかな?と思いました。
    早速、設定も変えられたのですね。私も以前、スパムTBがすごく多くて削除が大変だったので、設定を「承認してから表示する」にしていたので、よくわかります。最近ようやくスパムTBもなくなったようなのでそろそろTBを受け付ける設定に変更しようかなと思ってますよ。
    ところで、マックのバイトですが当時も既にマニュアルは勿論、ちゃんとビデオテープがあって、それを見てマニュアルを覚えさせられたのですよ。客がいないときも何もしないのは駄目で、必ずダスターでカウンタを拭いたりするとか、必ず笑顔で客に接するとかね。そうそう、ハンバーガーって当時は結構高い食べ物でしたよね。自給が確か300円ぐらいだったと記憶してますよ。ではっきりしたことは忘れましたけど、吉祥寺の駅の北口の近くにありましたね。当時はバイトのクチは幾らでもあって、学生課に行けば、家庭教師、事務、店員、いろいろありました。今のコみたいにずっとやるというのではなく(家庭教師は別として)春休みの1ヶ月だけという風に、山に登るための資金を稼ぐわけです。マックは当時でも、自分の都合のよい時間を選んで働けたのでよかったのです。そういうのは今では多いですけど、あの頃はなかったですよ。
    檸檬という喫茶店のことは記憶にないですが(私はたいがい学校の近くで飲むことが多かったので)その吉祥寺に住んでた友人は知ってるかもですね。彼女も相当なコーヒー好きでしたから。

  4. primroseのアバター
    primrose

    接客マニュアルのビデオがあったのですか? そりゃ、すごい。今どきならなんとなく分かりますが、その当時にしてはすごかったでしょ。でも売り上げはその時の方があったかしら。今はハンバーガー1個120円とか、65円のときもありましたよね。時給300円でも、大学生なら高いほうだったんじゃありませんか。娘のバイトでもいろいろ聞きましたが、継続的にバイトする人じゃないと、今は採用されないんですよ。バイトなのにね。(~_~;) パートと同じ感じです。でも勉強しなくなるので、私は短期のみということで許しましたけど。
    そうですかぁ、山登りの資金稼ぎですか。黙々と働いたのでしょうね。そして数日間の登山を満喫。いい青春だぁ!