1日目は新幹線で岡山まで、その後、地元の一畑(いちばた)交通のバスに乗り、途中休憩をはさみながら、大根島(だいこんじま)の由志園へと向かう。大根島は高麗ニンジンとボタンの栽培が中心だそう。由志園には立派な日本庭園があり、見ごたえがあったが、残念なことに到着が4時半ごろとなり、高麗ニンジンやボタンの説明をちょっと聞いて「暗くなる前に」と、庭園を先にあわただしく鑑賞し、その後夕食というスケジュールだった。もう30分でも早く着けば「明るいうちに庭園を良く鑑賞できたのに・・・」と少し残念ね。
また、ボタンの時期でもないのに、本当にボタンが咲いているのか当初から疑問だったが、なんと屋内にちょっとした庭園を模した栽培・鑑賞施設があり、温度や日照の管理をして、数十株のボタンが見事に咲いていたのだった。それも満開でちょうどよい見ごろ。写真では一部しか写っていないが、周りに金屏風やコンパニオンプランツを配し、まるで日本画を見ているような雰囲気だった。屋内で咲かせているという説明を聞いた時、ビニールハウスを想像していたが、そんなちゃっちいものでなく、立派な施設だったのにとても驚いた。これなら観光客をどんどん呼べますね~。
由志園での夕食(下の写真)は会席風でなかなか上等だったわ。オプションで鯛しぐれというのをつけたが、要するに昆布とカツオのあっさり出汁で食べるお茶漬けだった。鯛は上品にそぼろにされ、なかなか美味しかったが、いつもインスタントのお茶漬けふりかけなんか食べている私にとっては物足りない味付け。でもこれくらいが良いと分かってはいる。^_^;
大根島へ渡る橋は本土から来る時、途中から急な角度で曲がっていて、それがバスから眺められるもんだからちょっとしたスリルがあった。でもその橋を実際に通ってみれば、確かに急勾配ではあるものの、ジェットコースターのように感じるわけではなかった。帰路にはその坂を上ったが、あれほどの勾配も車ではどうって事ないのね。
2日目は宍道湖(下写真)を横に見ながら松江城へと向かう。宍道湖ではまさにシジミ漁がおこなわれているところだった。じかに湖へ入っている漁師さんがいるが、そうやって採ったシジミは船の上から採ったシジミより高いそう。
松江城の最上階は望楼になっており、360度の眺望がある。天気が良ければもっと街の景色がはっきり見えるだろうが、残念ながら曇り空で時に雨がパラつく天気だった。天守閣は資料館となっている。黒い外壁はなかなか強そうに見えた。また、天守閣の中に井戸があるのは珍しいと思った。兵糧攻めに対抗するためか。
出雲大社(上)には、さざれ石というものが展示してあった。さざれ石とは、圧縮されるうちに小さい石がどんどんくっついて「大きな石に成長していく」というものらしい。だからおめでたいんだって。日本各地にいくつかあるらしい。
10月は出雲の国以外で神無月というが、出雲では神在り月となる。ここは大黒様を祭った神社で縁結びのご利益があるそう。縁結びとは男女の仲だけではなく、商売、友人などいろいろなことをさす。
現在は平成の大遷宮で、本殿には屋根がかかり工事中。その手前にある御仮殿(上の大きい写真)に参拝する。意外と小さくてちょっと拍子抜け。そしてここ出雲大社では、二礼(拝)二拍手一礼(拝)という一般的な参拝方法ではなく、四拍手するのが正式な参拝方法だそう。その理由を検索すると諸説あるようだ。
大きな注連縄のある社殿は神楽殿(小さい写真クリックで拡大)。ここが一番最初に目につくので本殿だと思う人も多いらしい。この大きな注連縄には小銭が投げ込んであり、赤い糸が付いているものもあった。どうやら誰かのいたずらから始まったものらしいが、私も100円玉を投げ込んだ。何回目かでやっと注連縄に貼りついた。良いご縁がありますように。(^◇^)
ついでに、と言っては大黒様に怒られそうだが、平成の大遷宮のポスターとなっていた出雲大社の印(出雲大社と書かれている)と国旗掲揚塔も撮影した。印はすっきりとして柔和な感じがし、典雅な雰囲気もあってとっても良いではないのぉ!国旗掲揚塔は日本一の高さを誇り、そこに掲げられた日章旗も畳75枚分、重さは約50kgで日本最大の国旗だそう。
一番期待していた世界遺産の石見銀山遺跡(下写真全部)では、まず、渓流沿いの遊歩道を40分ほど歩いて龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)へと向かう。間歩はこの遊歩道のあちこちに散在している。小さい坑道もあってはそれらは水抜き穴らしい。帰りは龍源寺間歩から1時間以上かかって大森代官所跡まで歩く。
龍源寺間歩に着いて早速坑道へと入った。それはほんの数分で歩き終わるほどの短い坑道で、ノミの痕もはっきり分かるが、何にもない、ただうす暗い坑道だった。私は佐渡金山のように何がしかの仕掛けがあるかと期待していたが、あっさりしたものだった。しかし、石見銀山遺跡周辺の景観全体をも含むのが世界遺産の特徴であるから、もっとも、とも思う。これら全体の景観を未来に残すための世界遺産なのね。
この地域の現在の産業は林業が中心だそうで、確かに、そばの山々には杉が植えられていた。遊歩道のまわりの集落は特に変わったものではなく普通の住まいだったが、ところどころ、昔の面影を残す建造物は残っている。それらが土産物屋、飲食店などになっていたりする。また、地元の名士の家なのか、重厚な門構えの旧家も見学できるようになっている。銀細工の店もあった。
大型観光バスとの待ち合わせ場所である石見銀山資料館(大森代官所跡)も立派に整備されて十分見物に耐えるものだが、何しろ、龍源寺間歩の出口から1時間半ほど歩いてたどり着いたのだ。もうヘトヘトでそれら観光施設を見る気もしない。(-_-メ)
集合場所に無事に着くと私たちは少し座りたいと思って、バス乗り場付近のお土産屋さん前にあるベンチなどで休んだ。ここは半日ではなく、休憩や食事時間をはさみ、1日かけて観光したい場所だね。バス集合時間を気にしながらでは、せっかくの世界遺産もゆっくり見ることができなかったというのが本音。それにしても60代70代の方々も弱音を吐かず、ちゃんと歩いていた。ずっと若い私が文句を言うなんてねぇ~。。。(@_@;)
下の写真は遊歩道沿いの景色と、観光客用のベロタクシーなど。途中には休憩用にトイレのある公園があり、紅葉もきれいに色づいていた。渓流にはウグイのような魚がたくさんいた。
最終日は足立美術館と鳥取砂丘(下写真)。足立美術館は庭園も有名だが、ここには一歩たりとも入れない。だから写真を撮ったり、間近に見られるのは美術館の通路などから。この足立さんとは一代で財をなした大富豪で、庭園としての景観を考えて周辺の山まで買い取り電柱をも取り外させたとか。やることが違うね。
横山大観が好きでそのコレクションが結構あるらしいが、どこでもそうだが一度に展示するわけじゃなく、順繰りにもったいつけて展示でするんですよね。別のを見たいと思ったらまた行かなきゃ。何しろ日本画の大家の芸術を、この目でしっかと見られるんだから。館内を一巡した後、その名も大観というティルームでお茶にした。モンブランとミルクティ、どちらも美味しかったわ。(^-^)
最後が鳥取砂丘(下写真)だったが、お天気がここまでもってくれてよかった。(^O^)/ 日本海は暗く、正面には何も見えないので太平洋のごとくにも思えたが、遠い彼方には朝鮮半島やロシアがあるんだと思うと、なんだか地の果てに来たような気分ね。
鳥取砂丘は砂の粒子が非常に細かく「長靴を借りてはいた方がいい」と何度もバスガイドさんが言っていたが、結局私たちは自分の靴で砂丘の高い所にまでのぼり、日本海を見下ろした。観光のラクダや馬車があったが、リフトに乗って砂丘の入り口まで来たのでもうそれ以上することもないと、お金はかけないがっちり主婦の習性が出た。でも、帰りのリフトで記念写真を撮られ、姉が私の分までも買ってくれた。(*^^)v 最後にラッキョウをお土産に買ってバスに乗った。
2泊3日にしては、けっこう見物場所が盛りだくさんで充実していた。帰りはバスに2時間ほど、新幹線も3時間半乗り疲労感も。往きは良い良い帰りはなんとかだね。「今度は帰路が飛行機で湯布院なんかどう?」と私は姉に言った。姉は飛行機嫌いなのねん。だからまた新幹線往復かも。ま、それもまた楽し、だね。^_^;