ひとのものをとるな

NHKで角田光代の「八日目の蝉」をみている。ある女が非合法的手段で母となり、今までとは違う自分で生きる、ことを例えての題名か。テレビだから原作とは違うところも多い、と、原作を読んだ娘はいう。

女は、男への復讐からか、あるいはどうしても母になりたいからか、愛した男の、生まれたばかりの赤ちゃんを奪って5年以上逃亡するというストーリーらしい。だけど、こういう本は読んでも納得できない(共感できない)のでイライラするだろう。テレビで見ていても腹立つ。でも毎週見てるけど。


自分の欲望を満たすためにひとのものをとっていいのか? ましてや、自分の意思を示すことのできない赤ちゃんを奪うとは何事だ。成長する過程で同じ年ごろの友達とも遊ぶことができず、幼稚園や学校にも通わせないつもりか。社会から隔絶して子どもを育てることは、子どもの幸せを切に願う母のする事ではない。

結局、この女は真の意味で子どもの幸せを考えていない、と思う。自分の復讐の手段として奪い、偽善で子どもを可愛がっているとしか見えない。ひとのものをとるな、と私は言いたい。それは対象物がなんであっても同じだ。

妻のいる男をとるな。愛していれば相手の家庭がどうなったっていい、というのはお門違いだ。自分がひとのものをとっていいなら、自分もひとに自分のものをとられたって文句は言えないね。恋愛は誰としようと自由だ、なんてチャンチャラおかしい。

こういった倫理観とか道徳観は、子どもが小さいうちに身につくのではないかと思う。子どもは親の姿を見て育つ。言葉に出して教えずとも、親が自ら率先垂範することで、子どもにも同じ考え方が身に着くと思う。子どもにとっては家庭は安息できる場所であり、生きていく上での観念までをも見につける場所で大切なホームだ。またまた、家庭教育ということばが思い浮かぶ。自分の子育てはどうだったか、と思い起こすも、もう遅いか。(^^ゞ

それにしても、壇れいが赤ちゃんを抱いて走る姿は危なっかしくて怖かった。赤ちゃんなんて抱いたことがない女優さんに、よくあんな小さい赤ちゃんを貸したなーと思ったわ。< (`^´)>