江戸の花 桜草

昨日は、くらしの植物苑で催された観察会に参加。講師は鳥居恒夫先生で、サクラソウのお話だった。前もって司会者の方に、1-2枚の写真を講演中に撮らせていただいても良いかと尋ねると、先生にお聞きした方が良いですね、とすぐに先生に伺ってくださり、先生はこんな私で良かったらとご快諾くださった。それで撮影したのがこの1枚。先生曰く、このお持ちの南京小桜が一番最初の園芸選抜種だそう。


良く園芸の本でお見かけする高名な方だったから、もっとタカビーかと思っていたら、撮影をご快諾くださったことからも先生はとても気さくな方だとわかった。サクラソウ会では世話役をなさっており、その代表でもあられる。幹事や理事、会長という役職は無く、この会では世話役という役しかないそうだ。そして便宜上ご自分が代表となっていると。そんなことからもお人柄が偲ばれる。好々爺というにふさわしい方で、この間72歳になられたそうである。

そして意外にも、地方のサクラソウ愛好会の方が多く参加されていた。佐倉市近在の参加者は私他数名だった。地方からもおいでになるとは、鳥居先生はファンが多いのね。私もいっぺんでファンになったわ。(^。^)y-.。o○ 

先生の著作の「色分け花図鑑 桜草」を言う本を持っていき、うまくすればサインをいただけるかも、と目論んでいたのに、机の上に用意していた肝心なサインペンを忘れ、ボールペンや鉛筆など筆記具も忘れてしまった。バッグに突っ込んだのは本だけだった。時間が迫っていたので慌てて家を出たからだった。

サクラソウに関する四方山話は、やはり本には出ていないような面白い話が多く、サクラ・クサではなく、サクラ・ソウという重箱読みのことや、なぜ、昔の和歌集などにサクラソウを詠んだ歌がないのか?などのお話は研究家の先生ならではの興味深いお話だった。

昔の和歌集などにサクラソウを詠んだ歌がないのは、サクラソウの群生地が江戸を中心にあり、江戸からサクラソウ栽培の流行が広がったからだという。平安などの時代には向こうにはサクラソウがなかった(あっても群生しているというほどではない)というわけ。江戸にサクラソウ群生地があったのはその地形からで、荒川の氾濫、河川敷の野焼きがサクラソウの習性に好適で、どんどん増殖していったからだそう。